(5)神から悪魔への変貌。

充実し始めた社会人生活。

新卒で経理職として入社し、良い先輩にも恵まれ充実した日々を送っていました。
会社の飲み会も当時は強制参加の時代で且つ九州なのもあって”終電”という概念はなく、5次会6次会…とあり、
朝まで飲み会に参加していました。
たまに会社の草野球の試合に参加したりもして、社会人の生活って学生とは全然違うなぁと
思いながら楽しんでいました。
仕事も分からない事はNさんが優しく教えてくれるし、何に対しても不満がない幸せな日々を過ごしていました。

神から悪魔へ…

経理の仕事にも少しずつ慣れて来て、「会社の役に立てるようにもっと頑張らなきゃ」と思っていた矢先、
教育係のNさんの様子が日に日に変わって行きました。

ある日、分からない事があってNさんに質問しに行くも、

Nさん

・・・。

Nさん忙しいから僕の質問するタイミングが悪かったかなと思って、時間を置いてまた聞きに行くも、

Nさん

・・・。

そうです。完全スルーです。

結局分からないものは教えて貰わない事にはどうしようもないので、
元々経理に居たB先輩に「Nさんが教えられないみたいなので…」と説明し、分からない部分を教えて貰い、
そのついでになぜNさんが今こんな状態なのかを聞いてみた所、

B先輩

Nさんに聞かずに自分で判断して勝手にやってしまった仕事があるんじゃない?

と言われ、心当たりはないものの、自分が勘違いして誤った仕事をしてしまった可能性は十分あるし、
何より僕自身が原因ならまずはNさんに謝罪すべきだと思ってNさんに謝罪に行くも、

Nさん

・・・。


またもスルー。

そして、暫く沈黙が過ぎた後、Nさんが僕を睨みつけるように目を見開き、

Nさん

アンタ、さっき私じゃなくBさんに聞きに行ったでしょ!?

と鬼の形相で怒鳴りました。

いや、さっきあなたに2回聞きに行ったのに2回ともスルーしてたやん…

そんな事を思いながらも、Nさんを不快にしたのは僕である事に間違いはないので「ごめんなさい。」と謝罪しました。
その後も許して貰う為に手紙を書いたりしましたが、事態は収拾せずNさんはどうしても許せなかったようです。

エスカレートするNさんからの執拗なイジメ

それからもNさんからのスルー状態は続き、オフィスを歩いている時に向かい側からNさんが歩いて来たと思ったら
僕の姿に気付いた瞬間逃げるように進路変更したり、僕が1番キツかったのは勤務時間が終わると、Nさんが急に
関連会社のスタッフに電話し始め、(Nさんは僕の席の向かい側に座っている)

Nさん

今年入った新人の男の子ホンッッッットに使えないわ〜!
ホントにアタシ嫌なんだけど!!アハハハハハ!!!

と僕の目の前で30分以上僕の悪口を言い続けるという地獄のような時間がほぼ毎日続きました。

会社そのものが古い体質で、『新入社員はやる事なくても退社は誰よりも最後でなくてはならない』という謎ルールがあったので、
僕はやる仕事がなくても帰りたくても帰る事が出来ないという状態でした。そして事態を知っている&見ている僕の上司と更に上の上司も、
Nさんに対しては何も言えずの状態でした。
(Nさんを責めて、もしNさんが会社を辞めると会社全体の経理が混乱するからだったと思います)

Nさんの執拗なイジメは最初は気にしないようにしていましたが、日に日に僕の精神も削られ始め、
ついに毎度僕が出ていた電話対応にクレームが入る(「いつも電話に出ている新入社員の覇気がなくなっている」と言われ始める)ようになりました。

軽うつ病と診断される

何に対してもやる気が出ない(無音の中でゴールが見えない空間を延々と彷徨い歩き続けているような感じ)ので、
病院で診て貰うことにしました。
結果うつ病手前の「軽うつ病」と診断されました。
気持ちが辛くなった時に飲む薬も処方して貰い、プリズンブレイクのマホーン捜査官(海外ドラマ)のように
ペンの中に精神安定剤を隠して、楽になりたい時は印刷室に隠れてペンから薬を取り出して飲む生活が続きました。

のちに「印刷室入る前は下を見てるのに、印刷室から出て来る時は背筋が伸びてしっかり前を見て歩いてて不気味だった」と先輩から言われました。薬の力って怖いですね。。

写真を撮りに行く頻度が激増する

それからというもの、仕事が終わった後や休日に頻繁に風景写真を撮りに行くようになりました。
ストレス発散の為?だったのかもしれませんが、特に理由もなくとにかく写真を撮りたい。
写真を撮りに行く時だけは何からも縛られず、

自分が自分で居られる。

という感覚があり、大雨だろうが高所だろうが危険な場所だろうが何も怖くない。
医師から貰った薬と、自分が好きなことをやって壊れかけている自分の正気を保っていました。

当時撮影していた写真。(当時のブログ写真を引用)

今見ると怖い写真だわ…。

写真を”ちゃんと”勉強したいと思い始める

独学で好きな時に好きに撮るだけの写真でしたが、自分を支えてくれる存在だったので、
本気で写真と向き合ってみたいと思うようになりました。

でも大学を卒業して新卒で入社してからまだ数ヶ月しか経っていない。
今会社を辞めれば世間からの笑い物だし、何より賛成してくれる人は家族であっても誰1人居ないだろう。

結局知り合いや親戚、家族、会社を辞めて写真の学校に行く事に誰1人として賛成してくれる人は居ませんでした。

この時嫌だったのは、反対された事ではなく、
「センスもないのにプロカメラマンになるなんて無理だから!」
と、カメラマンになる事前提で全否定された事でした。
(当時の僕は別にプロカメラマンになりたいんじゃなくて、純粋に写真の勉強をしたいだけでした)

写真のコンテストに入選したり、写真を掲載してたブログが少しバズる

周囲から反対されようがとにかく写真を撮りたかった僕は、自分の欲望通りに写真を撮り続けました。
良い写真じゃね?と思った写真はコンテストに出して運良く入選したり、撮った写真をあげてたブログも
アクセス数が上がって広告掲示の相談が来るようになりました。
結果が出るにつれて、両親も僕が会社を辞めて写真学校に行く事について反対しなくなりました。

親は偉大だ…。
せっかく新卒で大きい会社に入社出来たのに、
期待に応えられず申し訳ない…。
でも写真は勉強したい。

石の上にも三年とは言うが…

今の時代は違うかもしれませんが、当時は「”石の上にも三年”って言葉があるように…」と誰もが言う時代で、自分に向いてない仕事と分かっていても、たとえ人間関係で悩んでいるとしても、最低3年は働け!という風潮がありました。
当時の僕は「でも廃人生活3年は無意味な時間でしかないのでは?」というのがあり、今でも”石の上にも三年”という言葉は大嫌いな言葉です。

そして会社を10ヶ月で辞める事に・・・

両親が反対しなくなった事により、僕は写真学校に行く決意をしました。
結局Nさん問題は解決しないまま、上司にNさん問題と僕が写真の勉強をしたい事、そして会社を辞めたい事を伝え、
僕は”一身上の都合により”退職する事になりました。
上司からは「悪かったね…」と言われました。
その後有休消化を使って写真学校(日本写真芸術専門学校)に志願書を出したりして時間が過ぎて行きました。

Nさんは僕の出勤最終日も最後の最後まで無視し続け、
最後くらいはと御礼を伝えようと話しかけるも、
定時で逃げるように去って行きました。
自分の事が気に入らないのは分かる。でもよ・・・!

色々ありましたが、僕の社会人(サラリーマン)生活はたった10ヶ月という間で幕を閉じました。
(Nさんが僕を無視し続けた事や執拗なイジメを続けた理由は結局最後まで分からずじまいでした)

・・・と大変長くなり、そして暗い話で申し訳ありませんが今日の投稿はここまで。

次回は再び上京して写真学校時代に入ります。(ここから大逆転の出来事が次々に起きるので書くのも楽しみです)
次回の投稿もお楽しみに〜。

追記:その後Nさんはどうなったのか?

上記から5年くらい経ってB先輩に聞いてみた所、

B先輩

あー、Nさん定年退職になって会社に延長希望出したけど、
社長から「お前が居ると若い子が育たないから」と言われて
延長断られてそのまま退職になったよ〜

とのことらしいですw

目次